なるようになる
- 桃子 吉永

- 10月8日
- 読了時間: 3分
明日は京都で7時間耐久プライベートレッスン!
なので気合いを入れるべく久しぶりにちゃんと時間をとってバーレッスンしました🩰
一昨日行ったのですが今もお尻(特に仙腸関節付近)が筋肉痛です😌
台風と熱帯低気圧が近づいていますが、来週の京都・月一稽古もどうにかぶつからずにできそうです!
「身体の動かし方を変えてあらゆる身体のねじれや滞りを改善する」と
いう考え方は、うちに通っていらっしゃる生徒さんたちとはツーカーの話しですが、実はすんなり受け入れられる人の方が圧倒的に少ないと思っています。
昨日もとある方の身内の方がだいぶ前から肩を痛め、ついには腱が石灰化してしまい、激しい痛みと運動制限が起きているとの状況を聞きました。
ご本人は私のメソッドをしっかり学んでくださっているので40代後半にして不調のない快適な身体を実現されているからこそ、痛くてもそこに関心が向かない人の心理が少し不思議に見えるのだろうと思います。
私もその方と同じことをついつい思ってしまいます。
でも身体ってアイデンティティそのものだし、掘り下げていけばその方の死生観とも深く繋がっていると思いますし、そう簡単に見方が変わるなんてことはないのだろうと思います。
でも身体の再創造を経験した人にとっては、特に痛みが出ている人を目の前にすると、お節介心が発動しやすくなるものです😌
「身体の再創造」というと大げさに聞こえるかもしれませんが、本当にそういう感じなんです。私なんかは昔の(しかも10代の若い頃の)身体の感覚を覚えていますが、その頃の自分とはまるで別人と呼べるほどの変化をしているので、別の世界を生きているようなんですよね。
でも身体の軸やインナーマッスル、呼吸などを重んじるメソッドに興味を持つ人は10年前と比べたら確実に増えていると思いますし、「身体の使い方」という概念自体も私が勉強を始めた23年前からすると相当増えました。(足裏、足指のことはなかなか一部の界隈だけでなかなか増えない印象がありますが)
だから、目の前の人には気づいてもらえないかもしれないけれど、関心のある人が身体の再創造を果たしていくことそのものが、いずれ常識を変えていくのかなぁと思ったりします😌
そうそう、こういうことを書くときにセットで伝えておきたいことは、こういった身体を改善することに関心がない人の価値観も大切にすべきだということです。
自分と違う価値観の人のことを、どこか見下げてしまう人もいれば、積極的に見下す人もいる昨今ですが、そういうのは本当にもうどれだけ長い間人類が繰り返しているかと考えると不毛すぎるし、敵がいないと幸せに生きていけないパターンはもういいかなというところです。
むしろ自分がある価値観に留まっているからこそ、相手のことが見えないだけどなんだと思います。(もちろん私も漏れなくそうです)
身体はいつも、どのように使ったか結果として現れるだけなので、知らぬ間に生まれて自我が芽生えた時点からどこかのタイミングで、課せられたこの身体を引き受けるという機会を経て、何があってもしっかり生きるぞと思って生きればそれでいいんじゃないかなとも思います😌
(新幹線で書いてたら話がこんな方向に走ってしまいました😅)
ということでこの記事のタイトルは「なるようになる」ですね☺️






