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〈予告〉9月20日(日)原初舞踏ソロ公演を行います

  • 7月20日
  • 読了時間: 4分

更新日:7月21日


この度、9月20日(日)に【原初舞踏ソロ公演】を行うことになりました!


この企画は、原初舞踏を創始した最上和子先生の稽古場に通う生徒一人一人が、一から創作した舞踏作品をソロで披露するというもので、今回で第3回目となります。


会場は神保町・御茶ノ水にある私の階段スタジオで行います。 (自分のフィールドで公演をすることになったことは私にとって運命的です!)


今回の作品は映像作家の飯田将茂監督による撮影もしていただきます。


そのためチケットは「会場」と「配信」の両方で販売いたします。


販売は【8/10(月)朝10時~】開始予定です。

(まだ少し先ですのでぜひカレンダーアプリにご登録を!)



●原初舞踏とは


自分の外側に動きの形をつくるのではなく、踊る前に自分の身体の内部を徹底的に掘り下げ、見出すというプロセスを経てそこから踊りを発生させるという舞踊です。


そのためあらゆる舞踊にある「型」は一切ありません。

東洋・西洋などに関わらず、伝統舞踊も含めたあらゆる踊りと違う点はそこにあります。そして「人にこう見せたい」とか「こう見られたい」というような他者から見られた自分の姿や動きを磨くのではなく、外から見えない身体の中にある内在野から生まれたものを形にします。


また身体の内在野に深く入るための「所作」というものが存在します。例えば、立つ・歩く・横たわるという動きは我々が誕生してから20万年もの間、人間が繰り返し行い続けている動作です。


これを日常動作として動くのではなく、現実離れした超スローな動きで行うことによって、日常では感じられない内在の領域に潜ることができるようになります。


すると私という存在は武装解除され、自意識も解体されます。


内在野の奥行きは果てがありません。

そのため自意識が解体された先の深海には個人を超えた無限の記憶が眠っています。


この「踊り以前の所作」から内在野に入る稽古を繰り返し積んでいくことで、個人という枠を超えた先で踊りを発生させる、ということが可能になるのだろうと思います。ここが原初舞踏のすごいところの一つです。


そして何者でもなくなったところから初めて「私とは何者か」「なぜ私は存在しているのか」という問いと対峙することができるのだと思います。


剥き出しの状態から存在を立ち上げ直し、その上で日常に帰還することで私はこの世界(地上)で存立することができる。それは私という身体を通した大地の成就ともいえます。


と、最後の部分はちょっとわかりづらいと思います!

これでも原初舞踏の説明の部分を書くのに数日かかりました💦


最上先生のすごいところはここです。


「原理化して提示できなかったものを他者に共有可能な原理として提示し、実践している」というところです。(稽古生の山川さんの言葉を拝借)


これは私自身も自分の専門領域でやっていることではあります。私ももちろん形になるまでは一筋縄ではいきませんでしたし、そもそもパイオニアとは基本的に誰にも期待されません。そしてまだまだ課題は山盛りです。それに比べて最上先生は私にとってはすでに理想形を実現されています。そういう意味で目の前に良いロールモデルが見れることは幸運です。



●トークタイムもあります


今回の公演では45分くらいの舞踏作品を披露したあとに、【私の身体史】というテーマでお話しするトークタイムも設けたいと思っています。


これは私の生徒さんにとっても、最上先生率いるユリシーズファンの方にとっても興味をもってもらえそうなお話かもしれないということで考えました。


最上先生の電子書籍『私の身体史』とは全く違う内容になると思います。(でも先生の体験を読んでいると、ちょっとだけ似ているなぁと思うところもあります。)


何をどこまで書くのかというところはまだ見えていないのですが、「私の身体史」は文字にして公演に合わせて準備していこうと思います。



・・



仕事より慣れない創作活動ですから、私はすでに生活が乱れまくっています。笑


一つの作品を作るために延々と考えたり調べたりしており、それがなかなかぐるぐるとなってしまって実になりません。涙


しかし9/20に行うと決めたのは自分自身ですし、時間がどれだけあっても良い作品ができるかどうかはわかりません。


私は身体の先生であり、人の役に立ちたい思いが強い人間ですから、今回の公演だって、あなたのために作ります。そうじゃないと作れません。


どうか騙されたと思って、観にきて下さい。

もちろん配信も大歓迎です!!


踊りは選ばれた人や才能のある人が踊るのではなく、花が咲くように生きるための、人間にとって根源的な行為なのだと思うのです。きっと身体の内部から生成される踊りを見れば、身体の見方も変わるはずです。

 
 
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